(思っている事を書いていたら多少の長さになったので貼っておきます。仮にコメントが荒れて、土屋に制御しきれそうになくなったら、エントリごと削除するつもりです。予めご了承下さい)
昨日行われた第三回電王戦第2戦「やねうら王VS佐藤紳哉六段」は、人間の凄まじさを肌で感じられる戦いで、ルールを知っている程度の将棋素人である自分も、手に汗握る攻防を楽しませてもらった。事前の騒動がなければもっと盛り上がっていた筈であり、その点についてはとても残念だ。
やねうら王の開発者であるやねうらおさん(以下やね氏)は、SE時代にネット上とはいえ個人的に親しくさせて頂いた事もあり、今回の事件でやね氏がバッシングされているのが結構つらかった。なので、ソフトを戻しての対戦となったのは正直ほっとしていた。その上で佐藤六段に勝って欲しかったのは個人的な心情である。
やね氏は土屋の考える所の天才の一人であり、我々常人の考えが及ばない部分が多々ある(と、氏の言動を見ていると感じる)。また、逆に、天才であるがゆえに常人の一般的な考え方が理解できない傾向があるように思う。今回の騒動は(あるいは、今回の騒動「も」)、その部分が悪い方に働いてしまったのだと思う。
以下は、自分の想像するやねうらお像であり、実際そうなのかは知らないし、また電王戦のレギュレーションややね氏が実際に行った改修についてはまともに読んでいないため、分析資料としての価値はない。あくまでその前提でお読み下さい。
やね氏は妥協をしない人で、妥協する事が自分にも相手にも失礼な行為だと考えている。あるレギュレーション下で対決するとなった場合、そのレギュレーション下で最適化された戦い方をするのが最善だと考える。問題は、そのレギュレーションが曖昧だった場合、「曖昧な中でも可能な限り最適化する」のがやね氏のスタンスなのだという点だ。
例えば、以下のレギュレーションがあるとする。
1・進行不能バグがあるなら修正しても良い
2・1でバグを修正しても、棋力はあまり変化しないようにしてほしい
ここでは「あまり変化しないようにしてほしい」が曖昧さを生んでいる。「あまり」とはどの程度だろうか? R10だろうか? R100だろうか?
試しにR10までは良いとしておこう。それでは次の場合はどうだろう。
3・修正するとR10向上する(可能性がある)進行不能バグが10個あった場合、それを全部直すとR100上がる(可能性がある)が、直しても良いのか?
これはどうだろう。R100上がる(可能性がある)なら、その修正はすべきではないのかもしれない。しかし、それでは「進行不能バグは直して良い」というレギュレーションは意味をなさなくなる。
また、バグが直る事でレーティングが上がるかどうか、どの程度上がるかどうかを判断するのは相当困難ではないかと思うので「レーティングが上がる可能性のない進行不能バグだけを修正してよい」という新レギュレーションを作っても、やはり意味がないと思う。
既に色々怪しくなっているが、更に、上記をこう言い変える事はできるだろうか。
4・進行不能バグが10個あって、それを一個ずつ対処するのは面倒なので、探索ロジックをStockfishベースに切り替える。バグは排除され、代わりにR100上がる(可能性がある)。
これを「可換」と言えるかは人によると思う。普通は言わないだろう。また、「可換」だとしても実際にやるかも人によると思う。これも普通はやらないだろう。そんな短期間で探索ロジックを差し替えるリスクとかを考えるととてもできないからだ。けれど、やね氏はやるのである(注:実際にやったのかは知らない)。「それが許可されていて、できるのであれば、やらない方が失礼だ」と考える人なのだ。
「そもそもバグとはなにか」というのすら定義が難しい中、将棋というルール、プログラムというルール、ドワンゴや連盟というルールが混在する中で、自分の娘のようなプログラムを、可能な限り最も美しい状態で晴れ舞台に、尊敬するプロ棋士の前に立たせたいという親心がやね氏にはあったのだろう
その時、普通なら「まあここは紳士協定でスルーすべき所だな」というレギュレーションの曖昧な部分について「娘がより綺麗になれる余地があるのにそれを使わないのはおかしい」と考えるのがやね氏である。逆に、そのことを非難されても「なぜ許されている(≒してはいけないとは言われていない)事をしてはいけないのか?」と、その非難を理解しないだろう。今回はそれが完全に裏目にでてしまったのだと思う。
繰り返しになるが、自分は、旧バージョンでの対戦になったのは良かったと思っており、その点についてドワンゴは興行主として(一度は新バージョンでの対決を決めるという間違いを犯したものの)、恥の上塗りをした上で旧バージョンへの差し戻しを願い出た事は評価していいと思う(悪意のあるPVについては反省してもらいたいが)。
電王戦は始まってまだ3回目である。正直、今年の結果如何では来年第4回があるか怪しいのだけど(……)、次回があれば、今回の経験を踏まえてレギュレーションがより厳密になるだろうし、それを通じて「人間とコンピューターが勝負をするというのがどういう事なのか」を、我々は模索し続けられるのだと思っている。
もしかするとやね氏はもうコンピューター将棋を作る情熱を失っているかもしれない(やねうら王2014を見れないのはとても残念だ)。しかし、いずれはまた、なにかもの凄いことを始めるであろう事には疑念がない。そしてその時も、レギュレーションの許す範囲で自利を最大化しようとし、その行為を周囲に叩かれ、しかし、やね氏自身は自分が叩かれる理由を理解しないだろう。
しかし、その常人との断絶が、やねうらおという天才プログラマーの業なのである。